オランダ暮らし満30年、やっぱり翻訳つづけてます!
by orandanikki
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2016年 08月 08日 ( 1 )

2016年8月8日

きのうの読売新聞の青山七恵さんの書評を

うれしく読ませていただきました。

ありがとうございました。


なかでも心を惹かれたのは

「自分が自分でなくなるのだから、

それはもちろん、恐くて不安だ。」という言葉。


〈自分〉ってなんだろう? というのが

つねに自分のなかでのテーマでもあるからだ。


芦屋のイベントのあとの打ち上げで

高山さんにも聞いていただいた話。


まだ幼稚園に通うか通わないかのころ、

こう話していた、と

母のつけていてくれた育児日記で読んだ。

(まえにも書いたことのある話です。)


「わたし、ときどき、自分がだれだかわからなくなるの。

さきちゃんがさきちゃんでないみたいで、恐くなるの」


高山さんもビックリされていたし、

母も「こんな幼い子どもがなんでこんなことを言うのか?」と

書いていた。


わたしもわからないのだが、

その感覚、いまでもよく味わっている気もする。



家でのんびりしている自分と

イベントではきはき喋っている自分とはちがいすぎる。

多くの人がそうなのかもしれないけれど、

人前でも素のままという人もいて

すごいな、と思う。


ヘールト・マックさんの日本での講演のまえに

「講演で緊張することはないんですか?」と聞いたら、

「いや、いつも講演に集中するよう心がけてるから、ないね」とのこと。

以来、真似をしようと心がけているけれど、むずかしい。


人を家に招く、ということもわたしにはむずかしい。

ひとり、あるいは家族といるときの自分と

他人と接している自分のギャップが大きいから。


外で会うときには外向きの自分になっているからいいけれど、

家という内向きな場所で外向きになる、と考えると

躊躇してしまう。


家にあそびに来てもらうのがいちばん楽しい、という人は

そのギャップがない人なのだろう。


ひとり暮らしをしていたときには寂しいから

だれかが泊まってくれるのがなによりうれしかったけど、

やっぱりまたひとりになるのも、どこかうれしかった。


だから、偶然、だれかが来たら

もうだれか来たことになるから、

この先、だれも招かなくてもいい! という

ハリネズミの気持ちもすごくよくわかる。


針を恥じている自分も、

針を誇りに思う自分も

どちらも自分だし、

だれかに来てもらいたい自分も

来てもらいたくない自分も自分なんだ、と受け容れる……


〈自分〉ってひとつでなくてもいいんだ。


芦屋のイベントのさいごの質問タイムに

幼なじみのまりちゃんを指名させてもらい、

「オランダのいいところはどこですか?」と質問してもらった。


そのとき、うまく答えられなかったのだが、

〈人間〉という広いくくりで

大らかに見てくれるところだと、あとで思った。


外見も中身も他人とちがっていてもいいし、

あいさつがうまくできなくてもいい。

Je bent gewoon Saki――

あなたはサキなんだから、それでいいじゃない! と言ってくれるところ。



針も迷いもすべてがハリネズミの〈自分〉。

わたしの〈自分〉もそう。


そういえば、芦屋でのイベントで

幼なじみのだいすけくんが会うなり

「顔、ひきつってるで!」と言ったので

(そんなわかってること言わずに励ましてくれよ~)と思いつつ

「緊張してるのが自分だから、そのままの自分でいく!」と

負けず嫌いの子どもか、っていうようなことを言っていた。


だってそんな場でリラックスしてるなんて、

それこそ〈自分〉じゃないもんね。


でも、そんな場に出てお話しできるようになった自分は

これまでの自分ではない。

〈変わってゆける〉というのも〈自分〉の一部だから。



どんな自分でもオッケーだよ、と

『ハリネズミの願い』を読んで思ってもらえたら

なによりもうれしい。



あんな自分もこんな自分も

それを見ている自分も〈自分〉なんだ、と

子ども時代の自分にも教えてあげたい気持ちになった。



ちなみに……

だいすけくんは東京でのヘールト・マックさん講演のあと

幼なじみで集まったとき、

「さき、変わったよね?!」と言ってくれた親友に

「おれにとってはどんなさきちゃんでも、同じさきちゃんなんや!」と

言ってくれた人でもある。

いまでもそのひとことはずっと心に残っている。
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by orandanikki | 2016-08-08 21:40